出会いってあるよねって話@エクマス2019_1日目

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目次

過去の自分とアイドルマスター

うつの自分を認められなかった

自分は理屈っぽく、それでいて感情が強く出る、劇薬の様な人間でした。幼少から頭が人より回るのに、誰よりも理不尽なことにカッとなりやすい。人と関わること、教えたり高めあったりすることが好きで、教職を目指していました。

勉強が苦だと思ったことはなく、小学校を卒業し、中学も学年トップで半年以上を過ごしましたが、明るい性格の除け者でした。

私がうつと診断をされたのは中学校にはいって1年も経たない冬の頃です。小学校時代、友人のいじめに介入して標的が自分に変わってしまった当時の自殺念慮が、1年後、何も理由がない希死念慮に変わっていました。

ある日を境に体が動かなくなって、1日中ベッドの上から天井を眺めながらラジオを聞く日々。次第に朝が来るたびに嘔吐したり、学校に行っても人の声が騒音の嵐で攻撃されていると感じるようになっていました。今まで平気だった発表も上がりがちになり、倒れたこともあります。

性格も、明るさはなりを潜め、内向的に、自分の内側を見ることが多くなりました。それしかやることがありませんでした。

その頃の心の支えは、ノベルゲームと当時の交友関係でした。泣きゲーとよばれる作品をコンシューマ版で漁り続け、彼女や2,3人ほどの友達が家に訪れた時は乙女ゲーや美少女ゲームのことを話したり、時には相談をし合っていました。小難しいことを言っても大丈夫な関係は、いくらかの安心を自分にもたらしました。

それでも、「自分はなんて無価値なんだろう。自分の居場所はない。このまま一生を終えるくらいなら、いっそ」と常日頃から考え続けていました。自分の根本が変わってしまった今、自分を肯定する要素はなにひとつありませんでした。

今思えば、あるいは書いているものを読んだ方からは、「友達がいるのに贅沢な」となるかと思いますが、うつというのはそこを曇らせる病なのです。

人生で最もワーストな時間。

家族の意志で受けた小児精神科でうつを診断され、カウンセリングと薬剤の処方を受けました。カウンセリングが必要な人ごめんなさい、今でも思いますけど、苦痛でした。子供として扱われ、悩みを矮小化させる医者とカウンセラー。医者から安易に出されたSSRIとベンゾジアゼピン系抗不安薬。あれで人生を狂わされた身としては、一つの教訓があります。

受け身の出会いで助けてもらえると思うな。自分の出会いで切り開け。

やきゅ

その頃のアイドルマスターと私。

どちらが閑話なのかわからないですが、アイマスの話を。

私のアイマスとの出会いは、ニコニコ動画ではありましたが、本格的に認識しはじめたのは765PROのアニメ~モバゲーのコンプガチャ騒動あたりの1年です。

正直に言います。アイマスは変なやつと変なことが多すぎると思ってた。今でも変人率は割と高い(個人の感想です)と思うけど、ニコ動でまともじゃないネタMMDから入ってしまったので、「はえ~こんなんかわいい思うやつおるんか」と思いながらのワの顔のホメ春香さんみてました。それくらいの認識です。

短い高校生活

高校はまともじゃないところに入りましたが、友人は除け者同士みたいな集まりの学校のため多かったと思います。高校に入るとき、教訓を得た私はあることを決めました(キメてはないです――合法なモノ以外は)。

「薬漬けからの脱却」。不快な場所にこれ以上いる必要はない、と吹っ切れて自ら切り出しました。

薬を絶っても不調は出ることなく、1年間楽しく学校に通いました。このことからも、医者を恨んでいます。

しかし、体から不調が出るようになり、2年生になった頃には、深夜徘徊や散財などを重ね、集中が全くできなくなるなど、新しい症状が出てきました。

私は弱く、愚かでした。「また逃げたくはない」と変な意地を張ってしまいました。独断で余った抗不安薬を試したのです。ベンゾジアゼピン系の薬を朝のみ、学校に出てみると、これが最高に体調がいいのです。毎朝飲むようになりました。

しかし、これは誤りでした。効力が切れた8時間後、家に帰ってくる頃には幻覚、幻聴、錯乱、自殺念慮がふくらみ部屋の隅から動けませんでした。

結果として、学校を退学し、彼女を傷つけ絶交、中学/高校の友人関係のほぼすべてを失いました。このときのメモの中にあった、今でも覚えている言葉が教訓です。

誇りとかプライドとかは助かってからまた作ればよかった。なくしたものがでかすぎる

やきゅ

躁鬱病と過眠。

診断は双極性障害。一般的には躁鬱とよばれるものでした。同時に睡眠障害も指摘されました。

勉強やゲームがつらかった覚えがあります。座ってしゃべらずじっとしていると今でも眠ってしまいます。集中の有無にかかわらず、です。

読み物がつらくなり、うつの時の唯一の楽しみがなくなった私は、躁で出かけては鬱で帰れなくなったり、躁状態のときに鬱の気持ちを実行しようとしたりしました。

そんなとき、始めて一年もないツイッターで出会った美少女ゲームのオタク、Mくん(仮称)はじめいろんな人に迷惑をかけました。その節はごめんなさい。たぶん連続して節々が汚れていて、晩節まで続くと思います。

そのMくんが安部菜々Pだと知ったのは、シンデレラガールズのアニメが始まる数ヶ月前だった覚えがあります。

出会いの否定もまた選択

2014年ごろ、私が好きな動画がこちらです。

お察しの通り、シンデレラガールズ、ひいてはアイマスに惹かれたのはここからなんですよね。そんな中Mくんがモバマスをやっていることを知り、「アイマスとはなんぞや、ユッキはどこにおるんや」と聞いて、とっかかりとしてモバゲー紹介してもらいました(制度がもはや懐かしい)。

そのついでにMくんに「765についてはこれ借りておいで」と教えてもらったCDは、今考えても普通に薦めるであろうこの4枚でした。

私は思いました。「台詞がある曲はバックボーンがわからない状態で聴くのは無理。堪えない」と。背景を知った今でも苦手ですが、クサい台詞はいっしょに歩まなければ刺さらないのがきつかったんですよね。というわけで、765には少々苦手意識がありました。ハマれなくて、ごめんってなりました。聴いたのじぶんからなのにな。